2011年9月4日日曜日

■第2回 核・原子力のない未来をめざす市民集会 @台東 を開催

2011827日、『第2回 核・原子力のない未来をめざす市民集会 @台東――311原発震災以降を私たちはどう生きるか』を開催しました。(於:東京都立産業貿易センター台東館)。
二部構成で開催した市民集会―SESSIONⅠでは、「福島第一原発で何が起きたか?」、その真相について田中三彦さん(サイエンスライター)から、福島で現在なお進行する被曝の実態、子どもたちの実情などを「20ミリシーベルト基準を棚上げして除染始まる 避難・疎開のとき」と題して、中手聖一さん(子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク代表)にお聴きしました。SESSIONⅡは、京都大学原子炉実験所助教の小出裕章さんの講演。小出さんには、「核=原子力の本質 原子力発電で、私たちが知っておきたいこと」と題してお話をお聞きしました。
当日は、約700人の方々にお集まりいただき、また、急きょ会場に駆けつけてくださいました、元原子炉格納容器設計技術者である後藤政志さんがコメントしてくださる場面もあり、盛会のうちに終了しました。


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原子力資料情報室 http://www.cnic.jp/
岩上安身IWJチャンネル2  http://iwakamiyasumi.com/


福島第一原発で何が起きたか?

騙しのテクニックを駆使した、東電のシミュレーション解析!
田中三彦さんは、東京電力福島第一原発で何が起きたか、真相を究明することが重要であると前置きし、話を起こした。そもそも、流布されているような、津波と電源喪失を主要因に、「超特急でメルトダウンが起こった」とする、「地震動」の影響を無視した東電のシミュレーション解析は「騙しのテクニック」だ、と断罪。
メルトダウンは誰の目にも明らかだ。問題は、地震の揺れで原発の中枢構造が壊れたり、機能が喪失した――つまり、配管破損による冷却材喪失事故が起きた可能性が大であることだ。根拠は? 田中さんは、1号機の原子炉格納容器が、「安全上の未解決問題」(*)を抱えているMARKⅠ型原子炉格納容器であることに注目。地震の揺れ→配管破損→冷却材喪失事故→大量の水蒸気が圧力抑制室に噴出→圧力抑制機能の喪失→格納容器の圧力が設計圧力を超えて上昇→事故を誘発したというのが1号機事故の全容であろう、と自らのデータ解析結果を示しながら問題提起した。MARKⅠ型の格納容器を設置している原発はもとより、地震動による機器の損傷破壊が疑われる今、全国にある54基の原発を即時停止すべき、と結論した。
*安全上の未解決問題:MARKⅠ型原子炉格納容器は、圧力抑制室の構造強度問題や圧力抑制機能の喪失が容易に起こる可能性が大きい欠陥格納容器であることが、1970年代前半に米国GEの技術者により内部告発されていた。


20ミリシーベルト基準を棚上げして除染始まる―避難・疎開のとき
視えない敵は放射能だけでない! この国のかたちを本気で変えるとき
中手聖一さんは、事故直後から一貫して被曝の危険と汚染の現状を福島県内外で訴えてきた。県下では放射能安全対策キャンペーンが張られた。20ミリシーベルト、30ミリシーベルトは問題外で、100ミリシーベルトを超えたら心配すればよい、と言って回ったのがリスクアドバイザー山下俊一氏だ。県内の医療関係者、学校教員に向けても徹底的な言論統制が敷かれ、子どもたちは放射能管理区域のような場所で生活している。厖大な放射能汚染の現状を調査し、結果を記者発表しても報道されない、不安をあおる記事は掲載しないということが堂々と行われているという。放射能のことを「視えない敵」というが、視えない敵は放射能だけでない。この国のかたちを本気で変えないと、一度事故が起これば私たちはあっという間に犠牲者にされるのだ。今なすべきは「1ミリシーベルト以上の汚染区域は選択的避難支援の対象にする避難区域の拡充」だ。汚染はすでに福島を超えた。私たちは福島を超えて、皆さんと手を携えてこれを求めていきたい、とアピールする中手さんに、会場から大きな拍手とエールが送られた。


*「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク」へのカンパ総額は、488032円。内訳は、会場カンパ403032円、賛同団体余剰金57000円、東京・生活者ネットワーク作成小出裕章さんブックレット『核=原子力に未来はあるか』売り上げの全額カンパ28000円です。カンパは、同ネットワーク代表の中手聖一さんに託しました。ご協力ありがとうございました。


核=原子力の本質―原子力発電で、私たちが知っておきたいこと

誰も責任を取らない原子力の世界 そして騙されることも罪である
SESSIONⅡは、「核=原子力の本質 原子力発電で、私たちが知っておきたいこと」と題した小出裕章さんの講演。前半で小出さんは、原子力発電のしくみ、都市部を避け危険を過疎地に押し付けてきた原発立地の現状、315日東京にも飛んできた放射性物質(内部被ばく線量は1時間の吸入によって17μシーベルトを超えた)、事故がなくても悲惨な原子力、ウラン採掘から始まる被曝問題、石炭・石油・液化天然ガスに比べ余りにも貧弱なウラン鉱、すでに生み出してしまった厖大な核分裂生成物・死の灰と処分問題・・・と進め、あらゆる意味で原子力は最悪の選択であると結論した。
講演後半では、「誰も責任を取らない原子力の世界」に言及。日本は「もんじゅ」だけでもすでに1兆円の金を捨てた、1億円の詐欺をすれば1年の実刑だ。であるならば1兆円の詐欺をしたら何年の刑になるだろう、1万年だ。そして原子力の世界で責任を取るべき立場にある原子力委員会の学者たち、官僚、大臣…仮に百人を摘発したとしても1100年の刑になる。それほどの犯罪がこの国で、原子力という世界で行われているのだ。そして、それでもなお実現不可能な「もんじゅ」をあきらめない。高速増殖炉計画を手放さないのはなぜか? その理由は高速増殖炉が生み出す高純度、核分裂性のプルトニウムにある。長崎型の原爆材料である。核兵器を開発する能力を保持したいがためである。原子力に平和利用も軍事利用もない、あるのは平時利用と戦時利用ということだ、と核=原子力をめぐる本質を語った。折々の講演で小出さんは「騙されることも、また罪だ」というメッセージを私たちに投げかける。多くの日本人は核=原子力の真実を知らされないまま、知ろうとしないまま今日まで暮らしてきた。そして事故は起きてしまった。3.11以降、変わってしまった世界で、私たちはどう生きるか、それだけが今問われている。終盤で小出さんは、「私のやりたいことは、原子力を選んだことに責任のない子どもたちを放射能から守りたい。ただ、それだけだ。皆さんの知恵と力を貸してほしい」と問いかけ、講演を終えた。
=原子力を選択し、それを許してきたのは私たちおとな社会だ。そして、これから永続する放射線被曝の影響をもっとも多く受けるのは若者、子ども、乳幼児、まだ生まれていない次世代の子どもたちである。汚染食品を食べたくないのであれば、次世代に無毒化することのできない放射性廃物を、負の遺産を先送りしたくないと思うのであれば、核兵器を廃絶したいと考えるのであれば、日本にある54基の原発を廃炉にすることから始めねばならない。


3.11以降を、私たちはどう生きるか、が問われている
この日、3人の発言者がそれぞれの切り口から語られたのは、戦後66年、私たちが築いてきた日本社会とはいったい何だったのか? という問いかけでもありました。戦後日本の高度経済成長は世界の注目を集めましたが、一方で、国内の第一次産業を衰退させ、公害・薬害・環境汚染を引き起こしたばかりか、世界のあらゆる国々の資源を収奪してきた歴史でした。先の戦争に突き進んだのも、バブル経済に狂奔したのも、今回の原発震災事故を引き起こしたのも、その要因は、私たちが上意下達型、ヒエラルキー型の社会構造に甘んじ、自治の尊さを忘れ、人任せと無責任を真に問い返すことをしてこなかった帰結なのではないか、という問いかけでもありました。
集会後には150に及ぶアンケートが集まり、実行委員会には今日なお、メールによるコメントが届いています。賛同団体の一つ、「わんぱくエコフレンズ」(登録者:善財裕美さん)の善財さんもそのお一人。そして、お寄せいただいたメールには、善財さんが誘ってくださった河野由宇さん(高校1年生)の「感想文」が添えられていました。
311当時は中学3年生だった河野さんのコメントは、SESSIONⅠ~SESSIONⅡを通底するテーマ、小出裕章さんがRCサクセション・忌野清志郎さんの曲に託してくださった「騙されるな!」、「視えないものを見よ」、「隠された核=原子力の真実を知ることからしか始まらない」ことを確実に言い当て、素直に、かつ深い洞察力で理解してくださるものでした。私たちはもっと若い人たちに期待してよいし、つながりたい、311を境に変わってしまった世界の中で、ようやく希望の種を見つけた、――そういうメッセージでした。少しでも良好な市民社会を次代に引き継いでいく責任がおとなの側にある、と改めて銘じることとなったメッセージです。
311から半年。いまなお収束しない東京電力福島第一原発事故は、私たちの住まう日本で、起こるべくして起こった「人災」です。3.11を契機に、核=原子力の時代と決別し、持続可能な次の時代への転換を、私たちは描き、実現に向けなくてはなりません。
*感想文は、河野由宇さんの承諾を得て、以下に掲載します


河野由宇(高校1年生)さんから「感想文」が寄せられました

私が今回講演会に参加した感想を一言で書くと「まさか」という感じでした。
一つ目の「まさか」は、「まさか講演会に行くなんて」でした。初め、善財さんに会って話をした時には「仕事は退屈でしょうが、やっていただきます」と言われたので、本当に退屈なものを想像していました。それで講演会に行くことになるとは思ってもいませんでしたから、驚きました。

二つ目の「まさか」は、「まさか原発が地震によってこわれていたなんて」でした。ここから急に講演会の話になりますが、私はずっと、原発は津波で非常電源が失われたからこわれ、爆発したのだと思っていました。しかし、最初に講演した田中三彦さんは、原発、特に一号機は、地震によってパイプが破損したことが爆発の原因であると説明しました。また、国や東電はこの事実を認めてしまうと、全国にある一号機と同じ型の原発全てを止めることになる上、他の原発についても、津波対策と電源確保だけでは安全と言うことはできなくなってしまうため、このことについてあまり触れないようにしている、というより、永遠に遠ざけておきたいのだ、と言っていました。それだけでも驚きでしたが、田中さんが言うには、改ざんしたデータを使ってシミュレーションを行い「早期にメルトダウンした」ということを発表することで、地震問題を隠したというのです。まさか国がこのようなことをして、危険と分かっている原発を動かそうとするなんて、信じ難いことでした。さらに驚きなのは、アメリカで、すでに一号機の格納容器と同じMARKⅠ型の格納容器には欠陥がある、と指摘されていたことです。どうやらMARKⅠ型の格納容器は設計圧力、つまり想定される最大圧力に少し余裕を持たせた数値を超えて、圧力が上昇するという欠陥があったらしいです。どうして圧力が異常に上昇してしまうのかは少し難しくてよく分からなかったのですが、30年以上も前に分かっていた欠陥を放置していたというのは、国民よりも原発を優先していたということで、これも驚きでした。そして民主主義を唱えながら、実際には国民をないがしろにした日本の今までの政府に対し、嫌悪感を感じずにはいられませんでした。そしてこの感情は、次の中手聖一さんの話を聞いて、さらに大きくなりました。

中手さんが言うには、福島では戦時下の日本のようなきびしい情報統制がされていたそうです。学者がやってきて放射能はそれほど危険なものではないと言って回ったそうです。中手さんがそれを疑い、他の人たちに、危険があるのではないか、と言うとののしられ、新聞記者などのジャーナリズムにうったえても一切報道されず、多くの人が無用な被ばくを受けたそうです。私は学校で、戦争中の日本がいかにひどかったかを習いましたが、まさか今の日本にそのようなことが起きているとは思いもしませんでした。
中手さんの講演が終わると休憩になりました。休憩中、私はいろんなことを考えました。終戦後、日本は戦争中にしたことを恥じ、もうそのようなことのないように多くの制度を変え、教育を変えたのだと思っていました。もし今、戦時中と同じことがされているとしたら、一体何のせいなのでしょうか。

休憩が終わり、小出裕章さんの講演が始まりました。小出さんの話の中で印象が強いのは石油の可採年数についてのものです。それによると、石油は、現在言われているほどひっ迫した状態ではないそうです。いずれ枯渇することはあるでしょうが、どうやら新エネルギー開発は間に合いそうだ、と思いました。もう一つ印象に残ったのが、「核」という言葉のことです。なんと、英語のNUCLEARをある時は「核」と訳し、ある時は「原子力」と訳しているそうです。つまりアメリカからすると、日本は「核開発」をしているのです。小出さんは、技術に「平和利用」も「軍事利用」もない、と言っていました。原発は核兵器です。多くの人の未来をうばい、我々人類が一生かけても消しきれない傷を残す兵器です。そんなものを日本が54基も持っているというのです。私はまだ高校生です。選挙権はまだありませんが、講演会に参加した人たちが、日本から、世界から核をなくしてくれることを願っています。

原発によって放射能汚染された食材が、大した検査もせずに風評被害はよくない、などと言って、無理に出荷されています。福島の人たちは汚染した土地で汚染したものを食べる生活をよぎなくされています。私としては、国民を大切にしない国に任せず、民間の企業や団体がしっかりと検査をして、その全てについて値を公表し、判断を国民一人一人に委ねるべきではないかと思います。なるべく早く福島の人たちが救われることを心から願っています。